きょうだい児としての思い
こんにちは、カウンセラーの芳川です。
今年もついに花粉症の季節に入りましたね。
私は花粉症が酷いのですが、1月から服薬を始めていたおかげか、症状がかなり抑えられていていつもより快適に過ごせています。早めの対処はやっぱり大事なんだなと実感中です。

カウンセリングの中で、きょうだい児の方がふとこぼす言葉に、はっとさせられることがあります。
「なぜ私を生んだのかと思う」
きょうだい児の方、とくにお兄さん・お姉さんに障がいのあるごきょうだいから、この言葉を聞くことがあります。
とても強い言葉に聞こえますよね。
この言葉の奥にあるのは、親を責めたい気持ちというよりも、もっと別の、ずっと抱えてきた感情であることが多いように思います。
たとえば、
・自分のことは、いつも後回しにされてきた感覚
・手がかかるのは、いつもきょうだいで我慢することが当たり前だった
・愛されていなかったわけではないけれど、「十分だった」とは言えない感覚
こうした思いが、少しずつ、少しずつ積み重なって、孤独や虚しさになっていきます。
さらに苦しいのは、両親が一生懸命頑張っている姿をいちばん近くで見てきた、という点です。
両親の頑張りを知っているからこそ「私がつらい」「私もしんどい」そう弱音を吐ける場所がなかったと仰る方も多いように感じます。
そういった環境から「いい子でいなきゃ」「迷惑をかけちゃいけない」「これ以上、親を困らせちゃいけない」そんな思いを抱えながら、自分の存在理由をいつしか『役割』で考えるようになる方も多くいます。
そして大人になってから、あるいは、ふとした瞬間に、
「私って、何のために生まれてきたんだろう」
「自分を生む必要はあったのだろうか」
そんな気持ちが生じることがあります。
これは自分自身の価値が低いから生まれた疑問というより、「きょうだいと同じようにちゃんと見てほしかった」
「私のことも大切にしてほしかった」そんな切実な心の声なのだと感じます。
ここまで読んでくださった方へ
ここまで読んで、
「分かる気がする」「まさに自分のことだと思った」
そんなふうに感じた方もいるかもしれません。
そう思う一方で、
「分かるけど、じゃあどうしたらいいのか分からない」
「今さら誰かに話していいのか迷う」
「自分の辛さは他の人に分かるわけがない」
そんな思いも浮かんでくるかもしれません。
きょうだい児の気持ちは長い時間をかけて心の奥にしまわれてきたものが多く、
言葉にしようとすると、
「これくらいで相談していいのかな」
「生きにくさはあるけれど何を相談すれば良いのか分からない」
「話すことで何が変わるのか分からない」
そうした気持ちが出てくるかもしれません。
そうした迷いがあるからこそ、我慢してきた時間が長いほど、誰かと一緒に整理をすることには意味があったりします。
メルディアウェルネスでは、きょうだい児の方や、障がいのあるご家族をもつ方からの相談をお受けしています。
明確な悩みが無くとも「誰かに話してみたい」「自分を優先できるようになりたい」「仕舞い込んできた感情と向き合いたい」そんな風に思った際には、どうぞ気負わずにいらしてください。
うまく話せなくても、何を話せば良いか分からなくても大丈夫です。自分のための時間を持ってみようかな、そんな風に気軽に思い出してもらえたら嬉しいです。
(※ご家族を支えるためのスペシャルプランもありますので、該当するか確認してみてくださいね。)















