いじりがしんどくなる境界線-笑っている=OKではない理由-
こんにちは。カウンセラーの芳川です。最近SNSでいじられキャラについての話題を見かけることがありました。
学生時代を思い返すと、私は小学生くらいの頃から、わりと「いじられる側」になることが多いタイプでした。
クラスやその場の雰囲気が和んだり明るくなったり、先生も楽しそうにしていたりして、そういう立ち位置でいることをとても楽しんでいました。
そんな感じでいじられキャラって得してるな〜、なんて思いながら楽しく過ごしていたのですが、高校時代に出会ったある人とのやりとりで、それまでとは違う感覚を持つようになります。
返し方に困ったり、どこか引っかかる感じがあったりして。なんとなくその場は笑って流す、ということも多かった気がします。「いじられている」という点は同じはずなのに、感じ方が全然違う。
こうした「いじる・いじられる」という関係は、形は違っても、誰もが一度は経験したことがあるのではないでしょうか。
今回はそんな経験も踏まえながら、「いじる、いじられる」についてをテーマにブログを書いていきます。

いじられ役は、本当に心地いいのか
いじられ役の人がいると、その場が和んだり、会話が回りやすくなったりします。空気を明るくしてくれる存在として、自然とそういう役割を期待されることもありますよね。
その場にとっては「うまく回っている状態」に見えるため、周囲も特に違和感を持たないまま、その関係が続いていくことも少なくありません。
ただ、その人自身がそれを「心地よい」と感じているかは別の話です。
一見すると笑いが起きていて、関係もうまくいっているように見えても、本人の中では、少しずつ無理が積み重なっていることがあります。
例えば、本当は引っかかっているのに笑ってしまったり、場の流れを止めないようにと、反応を合わせ続けてしまったり。
周囲にとっての「ちょうどよさ」と、本人にとっての「心地よさ」が、必ずしも一致しているとは限りません。
「いじられたい人」と「いじられたくない人」
いじりが成立するかどうかは、相手のタイプによって大きく変わります。
いじられたい人は、
いじられること自体を楽しめたり、ネタとして受け取れたりします。
自分からボケたり、ツッコミどころを作ることで、その場を盛り上げようとすることもあります。
一方で、いじられたくない人は、
場の空気を壊したくないという思いから、断れずに笑って流してしまうことが多いです。
また、そもそもノリや冗談でやり取りすること自体が苦手な人もいます。いじりそのものが負担になりやすいこともあります。
本当は嫌でも、「嫌」と言えないまま、いじられ役を引き受けてしまう。いわゆる「いじられキャラ」は、こうした背景で成り立っていることも少なくありません。
最初は平気でも、しんどくなることも
最初は軽く受け流せていたいじりも、回数が増えたり内容が強くなったりすると、しんどさに変わっていきます。
さらに、そこまで関係が深くない人からもいじられるようになると、「なんであなたにそこまで言われないといけないんだろう」と違和感が強くなっていきます。
この頃には、表面上は笑っていても、心の中では負担が蓄積しています。
そもそも、「いじる・いじられる」という関係は、お互いに言い返せるような関係性の中で成り立つものです。
親しくない人や、苦手意識のある相手との間では、一方的なやり取りになりやすく、負担につながることもあります。
「笑っている=OK」ではない
よくあるのが、「笑ってくれているから大丈夫」という周囲の受け取り方です。実際には、笑うしかない状況に置かれているだけ、ということも多くあります。
いじるのであれば、相手にとってプラスになる形であることが前提です。魅力が伝わるいじりや、本人が納得して乗れるやり取りであること。
そしてもう一つ大切なのは、いじられる側が言い返せる関係性であることです。
例えば、お笑いのやり取りを見ていると、いじられ役の人がただ笑って流すだけ、という場面はほとんどありません。
言い返す、切り返す、主導権を取り返す
このやり取りがあるからこそ、成立しています。
一方的にいじられ続ける関係は、コミュニケーションとして健全とは言えないのではないでしょうか。
気づかないうちに線を越える
いじったときに相手が笑って流すしかない状態や、なんとなく距離を取られていると感じるとき。
そのときは、本当は「嫌だ」と思われている可能性があります。そこに気づかず続けてしまうと、いじめやパワハラに近い構造になってしまうので気を付けなければいけません。
いじりは、うまく使えば場を柔らかくすることもありますが、使い方を間違えると、人を傷つけやすいコミュニケーションでもあります。だからこそ、「いじること=良いもの」と思い込みすぎないことが重要です。
相手がどう感じているかに目を向けることが、最低限必要の配慮なのだと思います。















